2016年2月6日土曜日

池田町のうだつは上がるのかな?(2・11編集)

帰省中、おばたんはお買い物がてらおばあちゃんと池田町に行きました。

池田町というのは、おばたんが通った高校のある町。
四国のほぼ真ん中にあって、古くはたばこで栄えた町です。
池田町の旧市街っぽい地域には、「うだつ」の上がった蔵造の旧家が今でも並んでいます。
「うだつ」って何?
それは後で説明するね。
資料館「旧真鍋家住宅」奥の資料展示部分は有料
「たばこの町だった」

「うだつの家タバコ資料館」へ寄りました。
ここにはこの地域とたばこ産業との深いつながりの歴史が展示されています。
専売公社(現JT)池田工場は昭和の終わりころには日本最後の刻みタバコ工場となっていたようです。
現在は完全撤退。
広大な跡地は、有効利用が検討されたものの、過疎地のこととて 結局は、よくあるスーパーや百均やドラッグストアが並び建つショッピングエリアになりました。
亡父は、専売公社時代に就職し、日本たばこ、JTと移り変わる中を勤め上げました。
 タバコというものは嫌いだけれど、父が打ち込んでいたものとしての愛惜はあります。一緒に行った母はきっとそれ以上のものを感じていたでしょうね。


居住部分も立派 
たばこの葉っぱって結構大きい

阿波葉と呼ばれたこの葉っぱは、吉野川を舟で下って、大阪へ集められ、北前船で日本中・・・
北海道まで運ばれていったそうです。葉っぱを刻むのに昆布を削る技術が応用されたとか書いてあったよ。
この地から北海道に移住した人も多いそうです。

刻みタバコはきせるに詰めて使うのです。おばたん、初めて刻みタバコ喫煙しました。ちょっと珈琲っぽい苦みで嫌な味ではありませんでした 手モデルは母です

「うだつ」のある家並み

今、世間では天空の城やら集落やらが流行っているけど、このあたりは ほんとに山の真ん中より上に集落が点在している。
雨や雪が降ると雲だか霧だかに捲かれて、すぐに天空状態になるのよ。
こんなところを「ソラ」って呼ぶらしいけど、そういうところでは作れる作物も限られているから
たばこの葉っぱは、現金収入に直結のありがたい作物であったらしいっす。

ここはその集散地で、リッチになった商人が立派な蔵造りのおうちを建て並べたんですね。
家々は、1階の屋根の上に さらに少し幅の狭い中二階?のようなものを付けて屋根を載せる・・・という贅沢な造りになっている。
「うだつが上がる」とは、「うだつ造り」のおうちが建てられるように羽振りが良いことを言うのね。

うだつ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後で調べると「うだつ」はもともと隣家との防火壁として作られたものが、だんだんと凝ったつくりになって、装飾的な意味合いの方が大きくなったんですね。
守るべき財産があって、立派な「うだつ」にお金をかける力がある・・・ということから「うだつが上がる」とは財産がある、出世する、羽振りが良い・・・などの意味合いのことばになったようです。
「うちの亭主、うだつが上がらなくって~」のように使用する言葉だけど、もう死語かもね。
このピンクで囲んだところが うだつ

うだつの町としては、「脇町」が有名だけれど、池田もそしてその隣の、実家のある辻町でも結構そういう造りの建物が残っているの。でも、辻町ではほとんどが空き家になって崩壊寸前なのが痛々しい。
池田町のこの地域は、ナマコ壁の旧家、石畳の道路とか、古い酒蔵も残っているしなかなかいいたたずまい。通りの名前も考えったっぽいネーミング。
ある時期、志を持った人たちが観光で地域を盛り上げようとしたのかなあ・・・という痕跡がある。
でも、残念なことに、街の整備が中途半端なまま、景気が悪くなって、人もいなくなってシャッター商店街にまっしぐら・・・に移行してしまったような感じ?(何のウラも取ってない、おばたんの想像)

残念なのは、この地域に昼間ご飯食べるところがないこと。
検索していったお店は、閉店していたり、夜しかやってなかったり、でお茶をのむところもなかったわ。

そして駅前通りも、まあなんということでしょう!
ことごとくシャッターが下りて古い貼り紙がちぎれかかっている寂しさ。
シャッターの合間に昔馴染みの ふくや(パン)とか、一福(うどん)とか、21世紀(喫茶店)とか安宅屋(和菓子)ががんばっていたのはうれしかった。
結局駅前通りのイタリアンに入ったのだけれど、ラ・タボールだったかな?(そこは美味しかったです。サラダも おいしいソースもけちけちしてなくて。)
おばたんの高校時代は、池田高校野球部が蔦監督の下で全国区になりはじめたということもあって、町も賑やかで元気だったよ。



蔦先生のおうちもうだつが上がっていました
多分、帰って住むことはもうないのに、無責任だとは思うけれど、頑張ってまたうだつをあげてほしい故郷です。

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