2019年9月1日日曜日

すぽたん、台北から西安へ


台湾上空 海上の水蒸気がもくもくと・・・

シーアンについた



「現金がないっ!」
22日午後、すぽたん一行は台北から上海を経由して夜の西安に着いた。
上海の乗り換えがバタバタだったので「まずここで人民元を手に入れなくっちゃ・・・」なのだけど、国内線フロアでは兌換ができない、と言われ600メートル先の国際線フロアに走る。が・・・「げ!もう閉まっている!」
「グーグルさんが使えない!」
カードで当座分を借り出そうとするが中国語表記でわからない。英語も表記してあるがちょっと自信がないのでグーグルさんで確かめようとするが、つながらない。
すっかり忘れていた!
中国ではグーグルさんはほんとに使えないのだった!
地図アプリもユーチューブもヤフーも何にもつながんない!
日本でwihiを借りる時に手段を講じておくべきだった・・・後の祭りだピーヒャララ♫
タクシー乗り場でまたひと苦労。
運転手さんも配車係も中国語しか話さない。
翻訳アプリは変な変換。
それでも、なんとか日本円でも払える、と言うことになり走る走る、夜の高速。
初めての中国の道路、めっちゃきれい!
片道3車線くらいある道を120㌔くらいでどこまでも走る、いったいどのくらい走れば着くのかと不安になる頃、やっとホテルに着いた。
日本だったら2万円位取られそう・・・と思ったのだが400元でいいという。
1元が15円・・・台北もそうだったけど、タクシー代安い。

「西安市内観光へ」(Xian)
シーアン 永寧門

東西南北を表す動物で方角がわかる(青竜・白虎・朱雀・玄武)これは朱雀で南


西安に行こうと誘われた時、正直、最近の国際情勢とかもあって「え~、中国?」と不安だった。でも、西安は長安よね。と思って行く気になったのだった。唐の都長安。みやこびとの憧れの都ではないの。行きましょう!
長安と言う呼び名は、明の時代に首都が移って西安に変わったらしい。当時の3分の1くらいの広さになったという旧市街は、今も「城壁」の内側にあり、道は碁盤の目に走っている。この町並みを奈良時代、平安時代に日本の都に移そうとしたのね。
北京、上海に次ぐ第3の都市というシーアンは京都っぽい。古いお寺や遺構が多くて、学校がいっぱいある。市内に国立大が40数校、私立大が28校あるということだった。ガイドさんは市内の外国語大を卒業後この仕事をしているてきぱきした女性だったよ。
「西安に来る日本人は20年前と比べて激減しています。今は日本人をここで案内する仕事より、中国人に日本を案内する仕事が主です。」
確かに・・・ぼくたちしかいなさそう。
台湾は日本人いっぱいで心強かったけど。
まず、案内されたのが
「大雁塔」
大雁塔

上からの眺め 西安はずっと霞がかかっていた





ここは、かの三蔵法師が西域から持ち帰った経典を保存していたことで有名な塔。建てられたのは648年だって。慈恩寺というお寺は文化大革命の時に破壊され現存は再建だけどこの塔だけは、当時の和尚さんが命がけで守ったのだそうだ。それまでは玄奘が持ち帰った経典もたくさん残っていたのが、文革で数冊?しか残っていないらしい。(現物を見せてもらったけど当時は紙がなくて、長い葉っぱにサンスクリット語を引っ掻いて書いたものなんだね)

昼食は人気の精進料理屋さんに連れて行ってもらった お肉に見えてもみんな大豆よ。
この店以外でもとにかく量が多い。「中国から日本に旅行に来たらケチだなあって思いませんか」って聞いたら、「みなさん、ダイエットになるからいいっていいます」って言ってた(笑)
スイカジュース グラス提供かと思ったらポットで出て来た!すっごくおいしいよ!
値段はいくらだったかなぁ。66元とかだった気がするけど。飲みきれない分は自己責任でテイクアウト
「青龍寺」(Seiryuuzi)
空海の師、恵果

空海


ここは、弘法大師・空海が仏教を学んだお寺。
遺構しか残ってなかったのを日本人観光客向けに再建したという。
「804年、空海さんは、もっともっと南の方に船が着いて(漂着だよね)、ずっと歩いて長安に入城しました。そして、最初はこのお寺に入れなくて別のお寺で修行を積みながら入れる日を待っていました。ここで恵果和尚に師事し日本に帰国、真言密教を広めたのです」
グーグルさんが使えなくなってお手上げのおばたんたち、頭と心の出来が違うとはいえ、当時の日本人の強い思いと苦労に頭を下げるのだった。実家は真言宗だし、空海さんの生誕地も帰省のたびに通っているし西安に来たのもご縁なのかな・・・
四国の88か所参りは1番札所から始まる。ここは0番なのだそうだ。
ご朱印帳200元は高いと思ったが老後のお遍路に備えて購入

「華清池」(Kaseichi)
ここは長恨歌の舞台だよ。


賑わう華清池 入場にはパスポートが必要
今でも43度のお湯が湧出。医療や療養に使われているそうだよ




楊貴妃像 もちろん最近のもので賛否両論とか(玄宗皇帝のタイプは豊満女子らしい)
楊貴妃が入ったと言われる浴槽 
ロマンチックに言えば、天に在っては比翼の鳥、地に在っては連理の枝・・・っていう玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋の物語の舞台。
現実的に言えば、二人が贅沢三昧&愛に溺れた温泉別荘地。
平安時代のベストセラーの舞台に来られたなんてウフフフフん♡とうれしそうなおばたん。
ガイドさんが一節を中国語で読んでくれる。
「いいな~。やっぱり書き下し文とは違うなあ。」
思えば十数年前「これからは中国語ができないと!」となぜか思い立ち、アルク中国語講座に登録したおばたん、あの時わずか1か月でめげないでいたならば・・・継続は力なり。今頃は中国語ペラペラになって、旅行にも困らず来年はオリムピックボランティアになれていたかも????目の付け所はよかったのに残念だ。
ここには夜、ミュージカルを見るためにもう一度来ることになる。
このミュージカル、西安でも大人気でなかなかチケットが取れないそうだよ。
すごく良かった!
野外ステージに集まる人々

プロジェクションマッピングだけでなく、後ろの山全体に電飾を仕込み、花火を上げ、噴水が吹き出し、鳩が飛び立つ・・というすごいスケールの長恨歌だった。歌も踊りも素晴らしかった。これを日本でやろうとすると技術はあっても、いろんな問題でできないんだろうなあ

「秦始皇帝陵博物館」で「兵馬俑」(Heibayo)
すごく広い。
すごい量!
ここも写真は撮り放題。
上野の展示も見たけど、やっぱりほんものはすごいですぅ~

掘り出して、修復してもとの場所に並べます

なんだかほのぼの


西安の郊外。
このあたりは農地だったが、水持ちが悪く土地も痩せていて作物ができにくい。
掘っていると時々妙な手足が出てくるし、気持ちの悪いところだ…と言うことで主に墓地に使っていたそうだ。
1970年代に井戸を掘っていた一人の農民、楊さんが勇敢にも、出て来た像を彫り上げて委員会に送ったことで大規模な調査が行われたということだ。
「ちっ、俺だって見つけてたんだぜ。」
「そうよ、おらだって掘ったことあるけど、呪われると思って埋め戻しただよ!」
「あんなものがあったから、土地がダメだったんだべ。楊のやつ、うまくやっただな。」
みたいなことだったに違いない。

農民たちは、後ろの山を壁として利用してここに住んでいたそうだ。今では宿屋や工房として利用
農地が博物館になってしまったので、館内で働いたり、おみやげ用の兵馬俑を作って生計を立てているそうだ。

観光客はいっぱいいるが、みんな中国各地から来ている人らしく、僕ら以外に外国人はいない様子。ガイドさんがすばしこく僕らを前の方に押しこんで見せてくれる。
こんなことしたら日本だったらおこられるよ~、と気が引けるが、ここは何ったって人が多いから隙間があったらさっさと前へ行くべきなのだ。
遠慮のかたまりみたいな隙間を作ってはいけない。
次の日の崋山でも感じたが、ずうずうしいというより合理的なのだろう。

おばたんは、当初からそれは無理だと主張していたのだが、おじたんは翌日の崋山にガイドなしで行こうとしていた。
だが、グーグルさんが使えないことで弱気になったおじたん、ガイドさんの一声であきらめた。
「おふたりさんは、中国初めて。中国語話せない。お二人さんで崋山、無茶です。」

急遽ガイドを手配してもらった。

「崋山」(Huashan)
この日のガイドさんは、西安では珍しい回族の男性。
なんとなくおじたんに似た雰囲気で昨日の女性より頼りない気が しないでもない。
ホテルから崋山の登山口までは車で2時間ほど。
高速鉄道でも行けるがシーズン中は急に切符が取れないとのこと。
(日本だって夏休みは新幹線コミコミだもんね)

夏休みの崋山はすごかった!連休中の高尾山もびっくりだね!

バス待ちの人々

この先がロープウエイ乗り場
西岳から登って北岳に下りるというのがメインルート。
登って下りるのに必要なチケットが6枚。
これだけの券が必要なのだ

「今日は空いていますヨ」と言うが
まず入山チケットを取るのに1時間余り並ぶ(いつもは2時間らしい)ここでは持ち物チェックしてなんと指紋も取る。
次に麓まで行くバスに乗るのにまた1時間余り行列。
バスは景色のいいところを30分ほど走る。
いよいよロープウエイかと思ってからが更に3か所くらいで1時間半くらいとぐろを巻かされてやっとロープウエイに乗り込む。
帰りは帰りでまたロープウエイ行列を1時間。
帰りのバスにはすぐ乗れた
(逆に辿った方が空いてはいるが上りがきついらしい)
崋山の山肌 すごい斜度!ロープウエイはちょっとしたアトラクションのようですごい!
乗っている価値ありだよ~
崋山は花崗岩でできた岩山で蓮の花のように頂上が5つあるので崋山。
峰々を結ぶ登山道は山肌を刻んで作った階段でできている。
「どんだけの人力を使ったんだろう」
峰にはお堂が建てられていてそこも人でいっぱいだ。
山中うじゃうじゃ人がいる。
崋山は如何にも中国らしい偉容の山で、人が少ない時に来たらどんなに素晴らしいだろうと思ったが・・・・


ここに上りたい!みんな思うよね。登ろうとした人がものすごい剣幕で怒鳴られていた!!
良かった~自重して

「北岳のふもとで御待ちしてますので、自由に山回って下りてきてね。」
ガイドさんには西のロープウエイでお別れ。ちと、不安。
案内板がよくわからなかったので(必要なところになかったような)結局4つくらい峰をぐるぐるしてしまった。
中国の人にもわかりにくかったのか、3人くらいに道を聞かれた。
聞かれた内容は状況でわかったんだけどな~
「かんにん。中国語しゃべられへんのよ」とへんな英語で答えてみるおばたん。
「この先は洞窟だけど、閉じられてるから行ってもつまんないですよ」って言ってあげたかった。かわいいおねえさんがせっかく聞いてくれたのに・・・

上海空港で食べた蘭州牛肉麵 さっぱり味でおいしい。トッピングと食卓上のラー油で味を変えられるよ

西安の旅行はとても緊張するものだった。

「外国人」になって顔写真や指紋を取られながら、言葉が通じないところを歩いていくのは緊張の連続で、成田に着いた時にはほっとしてしっぽの筋肉までゆるんでしまった。
中国って謎だったし。
でも、噂に聞いて妙に構えていたことや、日本に来る中国や台湾の人を見てなんでだろ?と思っていたことの一部が解けた。
わがままだって聞いていた中国の子供たちは、あんなに長々と並んでいるのにごねている子が、全然いなかった。ママたち、厳しく子供をしつけている。
街中の要所要所では、黄色地に赤字の電光や貼り紙で共産党のスローガンを宣伝していて違和感はあるけれど、街の人は「それはそれです」みたいに生きていることとか、
悪評高いトイレ事情が都市部ではほとんど解消されていることとか・・・
あと、とにかく道路がすごく良かったな~!

この1週間は、いつもより心と頭を使ったぞ!
ああ、でもやっぱり言葉が通じないのって不自由だったぁ!






























































猫額園の収穫

秋に蒔いた小松菜とさやえんどうとグリンピース、みんなそれぞれ頑張ってくれました。小松菜とグリンピースは撤去し、種を採りました。また来年も育ててみよう! さやえんどうは、まだ続々となっております^_^