2016年2月4日木曜日

徳島の第九に参加してきました~!

「徳島ラーメン」
甘辛く煮た牛バラ肉が乗ったこってりしょうゆ味 白ごはんが合うかも

例のグループ展で点いたお尻の火.

こんどは第九の楽譜に燃え移って
メラメラ,ボウボウ
1月末に本番を迎え、帰省。














ほら、これがおばたんが参加した第九のチラシ。
「とくしま歓喜の歌プロジェクト」っていうものだったのか・・・・と今気づくおばたん。

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第一次大戦の時、チンタオで捕虜になったドイツ人の
俘虜収容所というものが鳴門市にあったんだそうな。

その頃の日本は、捕虜に関する国際条約に未加入で捕虜の扱いが苛烈な収容所も多かったんだけど、ここの所長は会津藩の出身で(きっと会津の境遇に似てるって思ったのかな)
「国のために戦った兵士には礼を尽くして遇するべきだ」という信念で収容所を運営して、比較的自由な収容所だったそうじゃ。土地の人も捕虜を「おドイツさん」と呼んで 親しく交流していたそうな。
収容所の中には、ドイツ人が開くパン屋さんや靴屋さん、そして楽団は4つもあったんだって!
普通の市民が兵士だったんだもんね。
そんなわけで1918年に捕虜による第九演奏会が鳴門市板野郡の収容所で開かれ、アジアでもここが第九の初演地となったのだそうじゃよ。
*ちなみに所内のパン屋さんはのちにユーハイムになったらしい。




鳴門では毎年第九の演奏会をやってるらしいんだけど、
今年は2016年でしょ、
2018年の100周年に向かって今年から県外にも参加者を募って2年後にはBAAAA~N!と華々しい第九演奏会を開くようだよ。 2020年のオリンピックにも絡めるとか絡めないとか・・・・?
とってもよくしゃべるノリのよすぎる県知事さんがそのようなことをゆうてはりました。
みなさんもどうどす?
練習前 まだ人が集まっていない

当日はオケが100人、合唱が1900人。
観客席が1500くらいだったので演奏者の方が多かったの。
中高生、県内の合唱団、関西広域連合という(なんか名前だけ聞くと違う団体のよう 笑)京阪神、和歌山の合唱団からたくさんの人が来て、神奈川千葉東京の人もわりといたの。
埼玉はおばたんだけだったけど。
「どっから来たん?」
「え~ほんま?遠いとこからご苦労さんじゃなぁ・・」と苦笑されました。

ご当地の食材によるお弁当 おいしかった!





















自宅で独りぼそぼそ練習してた時には
「あ~高い。アルトで申し込んだらよかったわぁ。」と何度も後悔したんだけど、その場に行ってみんなで歌うとあんまり高いとも思わなくなるもんだった。
最後のプレスッテシモが練習をするたびに速くなっていったので、後ろの席のおばあちゃんとかは途中で墜落していってしまったが、私のお隣の同世代の人は、相当場数を踏んでるっぽく、完璧暗譜でバンバン歌っていてとってもたよりになる人だった。
老若男女が2000人なので、目指す「いい演奏」というのは、普通の演奏会とはちょっと違うところに置いてるんだろう。
「マッスの魅力」ってことを言ってた。
毎年こんな風に積み重ねていけば、2018年、20年には「マッスの魅力」が完成しそうな気がするよ。

合唱練習って周りの人とおしゃべりとかする暇がないから、一人参加でもまあ、大丈夫なんだけどその他の空き時間がやっぱ寂しいよね。

とかいいながらおもむろにボクを取り出して会場撮影なんかしてるおばたん。
あやしすぎる・・・
「おまはん、何しよんで?」

疑惑の視線を浴びる。









お土産もらいました
参加特典?のスダチ君ピンバッジと布バッグ
(もしや藍染?)
ハンカチは私物

JR四国は貧乏なので駅が昭和っぽいままでいい感じ
この時計、このままにしててほしいなあ・・・

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