3時半の練馬行きのバスで帰るんだよ。
「どこへ行こう~?」
「そうだ、松代へ行こうよ。」
松代は、長野市中心部から車で2、30分。
大阪の陣の後、真田家が上田から転封された場所で山と川に近い静かな街だ。
巷の真田人気からすると、もっと六文銭の旗があちこちに翻り、土産物屋やキャラクターがキラキラしているのかと想像していたら、全然そんなのじゃなかった。
静かで観光客も溢れてないけど、さびれてもいない、きちんとしたいい街だった。
「上田の方は、派手だよ。江戸時代は睨まれないように大人しくしてたんだと思うよ。」
おばたんの友達の意見である。
真田宝物館で開催中 |
これを着て写真撮れます! |
真田邸 昭和の途中まで家族が住んでいたそうだ |
真田邸のお庭 大きな木があって落ち着く |
松代城址 |
松代城址 現在はお濠はなくなっている |
樋口家住宅 |
広々畳でお昼寝したい・・・ |
おばたんは、宝物館の展示品の保存状態がいいのにもびっくりしていた。数も多い。
代々のお姫様たちの細かな美しいお道具が欠けることなく並べられているし、着物も色あせてない。
何でも昭和41年に12代の当主がお屋敷とお宝をそっくり当時の松代町(現長野市)へ寄贈したのだそうだ。
「そうでなかったら散逸してるし、ぼろぼろだよ。長野って几帳面な教育県だから学芸員さんとかがすごくちゃんとしてくれたんだと思うよ」
くだんの真田通の友達のコメントである。
うん、なんか街の人がすごく大事にしてる感じがするねえ。
伝統校の街の人とか大学のすぐ近くの人がその学校を愛してるのに似た空気があるように思ったよ。
次は上田にも行ってみよっと。
さてさて、この町にはもう一か所有名なところがある。
「松代象山地下壕」
これは、第二次大戦の末期、都内にあった大本営や、皇居をここ松代に移そうという壮大な?計画の遺跡なんだ。ボクもなんとなく聞いたことはあったんだけど・・・。
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巨費と人的犠牲を払いまくって市内の3つの山の地下に岩盤を掘削して碁盤の目のように掘った総延長10キロの地下通路。
1944年の11.11から1945.8.15までのたった9か月で計画の8割が完成していたそうだ。
どれだけ突貫工事なんだ・・・
日本中の食糧事情が悪い中、更に劣悪な条件の中で働かされたのは日本人ばかりではなく、朝鮮半島から連行された人も多くいたそうだ。亡くなった人は300人とも、1000人ともいわれているし、町の中には慰安所もあったと 隣接する「もうひとつの歴史館」のパンフに書いてある。
でも、こういう話はだいたい「さまざまな見解があります」と言ってぼやかされるものだ。
灯りが付いていてご戒壇よりはずっと明るかったけど、掘削のあとも生々しい岩盤の壁も床も冷え冷えとして、とっても怖かった。
ご戒壇の闇には極楽の鍵が隠れてるけど、ここは地獄の入口のようだ。
とても中の写真は撮れませんでした。
パンフで中の様子をご覧ください |
「あ~もうすぐ3時だ!走れ、すぽたん」
ああ~、佐久間象山記念館や池田満寿夫美術館には行けなかった~(T_T)
バスの中
「戦争のために首都機能移転なんてことを計画する時代が来ませんように」
と祈るボクとおばたんだったよ。
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