2015年1月19日月曜日

1月18日のランチ会


そもそもは年末年始の食べ過ぎがいけないんだと思うけど、
7日に銀座の某喫茶室で食べたイチゴショート、クリームと中のイチゴが
明らかに2日くらいたってる味がしたにもかかわらず、
ぼ~~っとと食べてしまっってその晩おなかを壊してからダメ。
ちょっと普通に(大量に)食べると胃が重い。
栄養がきっと足りてないから気持ちも後ろ向き。
そのうえめまいが・・・・

とかとか、不定愁訴を抱えて出かけたランチ会。
すごく久しぶりに会った人たちは、20代の時の職場の仲間と上司。
3人の内一人は、気仙沼で被災しそこで復興のために働いている。
上司は定年後郷里の福島で被災し、避難を余儀なくされ、今は福島原発の訴訟団で活動している。
もう一人は、大学で留学生を送り出すお世話をしていて、外国人のお友達がいっぱいいる。

前日が阪神淡路の震災から20年・・・という日だったこともあり、
話題の中心はやはり、震災のこと。

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揺れだけならまだ大丈夫だった。
津波が恐ろしい。
水が一番大切だった。給水車が来るまでの間2,3日の水の確保が大事。

情報がしばらく遮断されていたから、口伝えしかなかった。
携帯もつながらなくて車を乗り合わせて県外のつながるという噂のポイントまで行ってかけた。
自家発電のある施設はなんとかテレビが見えたけどほんと何もわからなかった。
気仙沼では震災の次の日から「福島の原発が危ないらしい、外ではフードをかぶったりした方がいいよ」という話が口伝えで広まっていたのに、どうして福島では情報がそんなに遅かったのだろう。

まだ、全然復興なんかしてないのに、テレビで「よくなった」ところばっかり報道して、もう終わったことだという流れになっているのが悔しい。
復興のために一緒にやってくれていたゼネコンの人たちが、オリンピックのために引き上げて行ってしまったのが本当に残念。

福島では、原発のことが実は、一歩も進んでいない。あのときのままだ。
そこが解決しないと東北の他の地域みたいに復興へ向かう事さえできない。

20年たったら、神戸のようになれるかなあ・・・
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あの日、うちの小さなおうちは捩れるように揺れて、机の下で「潰れるかも・・・」と一瞬覚悟した。
テレビで 人の手がいっぱい加わった美しい耕作地や橋の上の車や人が呑み込まれていくのを泣きながら見た。海の上を燃えながら漂う建物も見た。
福島の原発の報道にも目が離せなかった。
作業服を着た枝野さんの顔、菅さんの顔

そう。やっぱりまだまだ終わってないんだよ。

何の力もないけど、せめて忘れないようにしよう。
覚えてるだけでは直接の助けにはならないだろう。
でも、忘れていない土壌の上でしか、力ある人も力を発揮できないのではないかと思う。

あの3月11日の後、神戸の知人から水と野菜が届いた。
彼女は神戸で被災し、やっぱり水にとっても苦労したと言って送ってくれたのだった。
受けた苦労を思いやりに変えて行動できるのってすごい。
もらった水は、大切に味わっていただきました。


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秋に蒔いた小松菜とさやえんどうとグリンピース、みんなそれぞれ頑張ってくれました。小松菜とグリンピースは撤去し、種を採りました。また来年も育ててみよう! さやえんどうは、まだ続々となっております^_^