6月4日。母のご機嫌伺いの前後につけた途中下車の旅、行きは新大阪で下車したよ。
学生時代の友人3人で石切神社の近くで1泊と言う計画。
「病み上がりでパフォーマンスは平時の4分の1やわ」という友人を励ますべく、の集まりだったのだけど、行先も宿も彼女が手配し、
お宿でも
「ちょっと氷もろてくるわ」
「明日は●●時起床やで」
「はい、ここから電車乗るよ。切符ない人は買うてや」とてきぱきと采配。
おばたんの帰りまで時間があるからと翌日は大阪城公園まで付き合って案内してくれたのでした。
そうそう。
このパワーで早く完治してね!
ホテルからの夜景 右奥地平線にぽこっと高いのがアベノハルカスだって |
お泊りしたのはホテルセイリュウというお財布にもそこそこ優しい小さいホテル。
ロビーのたたずまいは日帰り温泉?なので正直あんまり期待してなかったんだけど、快適でご飯がおいしかった!
夕食は「品数は多いけど、中身が少な目だな~」って思ったんだけど、一つ一つがいいものでおいしく作られていたので食べ終わったら満足だったし、朝ごはんも特に変わったものはないんだけど、「シェフの手作り」が多くてどれも美味しかった。
やっぱりご飯がおいしくなくては大阪ではやっていけないのに違いない。
(特にたこ焼きが最高だった!朝ごはんにたこ焼?って思ったんだけど「いやいや、せっかくだからやはり食べてみねば・・・なんと!外側はいい具合に粘りとカリッが同居し、中はと~ろとろの熱々!口の中が一時大変なことになったけど出汁の味とタコの食感がぼ~っとしたおばたんの朝の脳みそを叩き起こしてくれたのだ。
やっぱり大阪のたこ焼恐るべしや~
また食べたいなあ。)
正式には石切劔箭神社(Ishikiri turugiya Jinzya)という。室町末期、兵火で社殿宝庫が焼失したため記録は失われたそうだが、天孫降臨にかかわる由緒ある神社らしい。
左は御神木のクスノキ |
石の亀たち お腹の中に願いが書かれた紙を抱いていて ここでずっと祈り続けるんだって・・・ ちょっとうるっとしないかい? |
Eちゃんがいうには「神武が東征の途中、この辺も滅ぼしちゃろと思てきたら、ここの祭神のニギハヤヒのミコトが天孫の証の品々を見せたので「ほな、おれら親戚やんな。」と言って何もせんと去ったんやて」だそうだ。
宝物館には「石切丸」「小狐丸」などの刀剣や銅鏡があるそうだが公開日でなかったので見られなかった。
お百度を踏んでいる人がいっぱいいた。これはあちこちの神社に行ってもあまり見たことがない光景だったよ。きっとご利益が大きいんだろうね。
参道も面白いのよ。
生薬のお店が多い |
赤まむしの社長の出身地らしい ここに店があったとか |
神社のそばにその東征の途中立ち寄ったという神武さんが祀られている祠がある |
日本中の参道が「小町通り」化していく中で、昔ながらの参道観を保っていて素敵だ。できれば売り上げが悪くてもこのままでいてほしいとおばたんは切に願う。
おばたんはこんなお薬を買った。
胃腸薬 陀羅尼助丸 友達が「効くよ」と |
大人は1回30粒 添付のおさじで10粒計量できる! |
友達二人は、参道の花苗やさんで種しょうがを買った。プランターに植えるそうだ。初秋二人が、たくさんのしょうがが収穫できますように。
大阪城公園は、とってもオサレできれいになっていた。
今回城のそばまでは行かなかったけど十分楽しめたよ。
「あたりまえやん。お城は中入るもんちゃうねんで。」とはEちゃんの言である。
外国のお客様がいっぱい |
これに乗って公園内を回ろうと思ったら待ち時間がすごかった。「うちら以外は外国の人やん!」 |